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   五月二十七日(水)

 頭が痛い。鳥のさえずりが聞こえる。朝か?六時過ぎだ。ああ、夕べあのまま寝てしまったんだな。電気もつけっぱなしだ。消さなくちゃ。それにしても頭が痛い。冷蔵庫からミネラルウォーターを出して飲む。かなり飲む。ふう。窓を開ける。外の空気が気持ちいい。でも頭が・・・痛い。気が付いてみれば、テーブルの上にはわずかに残ったワインの他に、ビールの缶まである。三本。ぼくはその缶を振ってみた。カラだ。三本とも。いつビールまで出してきたんだろう。覚えてない。ぼくにしてはずいぶん飲んだものだ。今日が木曜でなくてよかった。こんなではとてもラジオなんかできなかっただろう。らんまるは?そうか、もういないんだっけ。まだ酔ってるのかな。ぼくはベッドに横になった。夕べのような切ない気持ちは消えていた。頭痛薬でも飲もうか・・・。その時電話が鳴った。誰だろう、こんな時間に。
「立花です。」
『じゅん、寝てたか。』
「ああ、まーちん。起きてたよ。」
『だって声がおかしいよ。どうかしたの?』
「ううん、まーちんは?」
『昨日電話くれただろ?着信履歴があったからかけてみたら、おまえ出ないしさ、留守電にもなってなかったから。』
「ああ、そうだった。ごめん。」
『無事ならいいんだけどさ。カオルにかけてもヤツは留守だし。』
「カオルはバイトが遅いんだよ。悪かったね、別に用事じゃなかったんだけどさ、声が聞きたかったからかけただけ。」
『じゅんがそんなのって珍しいじゃん。なにかあったの?』
「ホントに大丈夫だから。ごめんごめん。」
まーちんもいいヤツなのである。心配させて、悪いことをした。受話器を置いた途端、トントトン、とノックが。
「カオル?」
ドアを開ける。
「じゅん、いたのかー。」
「おまえ、もう起きたの?」
「もう起きたの?じゃないだろ。夕べ留守だったの?」
まーちんには電話したが、カオルにかけた覚えはない。それとも酔ってヘンな電話をしたのか。
「ずっといたよ。」
「だってオレが夜帰ってきたら電気がついてたから。じゅんがそんなに遅くまで起きてるのヘンだからさー、ノックしたり呼んだけど返事はないし、電話しても出ないし・・・。オレ、じゅんが死んでたらどうしようかと思ったよ。よかった、生きてて。」
そうだったか。
「ごめん。熟睡してたみたいで。」
「電気も消さないで?あれ、なにこれ。」
テーブルの上を見られた。
「じゅん、お酒飲んだの?」
「ちょっとね。」
ぼくはワインボトルと空き缶を急いで片付けた。
「ちょっとじゃないじゃん。どうしたの?」
「悪いけど大きな声出さないで。頭が痛いんだ。」
「二日酔い?じゅんらしくないよ。なにかあったの?」
「はずかしいから訊かないでくれよ。」
「だって、死んじゃったのかと思ったんだよ。」
「ごめんごめん、たいしたことじゃないんだ。」
「たいしたことじゃないのにそんなに飲んだの?」
「・・・言っても笑わない?」
「笑わないよ。」
言わなくてはおさまりがつきそうもない。ため息をつく。
「時々みる夢があるんだよ。小さい頃から。」
カオルはぼくの顔をじっと見る。ぼくは続ける。
「その夢をみたんだ、昨日の朝。」
「昨日は普通だったじゃない。」
「ひとりになったらなんか苦しくなっちゃって。」
「もしかして・・・、お母さんの夢?」
「どうしてわかるの?」
「だってじゅんが小さいときに亡くなったんでしょ?きっと今でも思い出すと辛いんだろうなって。」
「そうか。はずかしいな。」
「全然。はずかしくなんかないよ。オレだって急に大切な人が死んじゃったらきっとなかなか立ち直れないと思うもん。いっぱい後悔したり思い出したりすると思うもん。だからさ、ひとりで苦しいときは言ってよ。オレでよかったら話し相手になるし、そう、バイトだって休むしさ。」
カオルの目を見ているうちに、目頭が熱くなってきてしまった。
「さんきゅー。オレ、まだ酔ってるかも。」
窓辺へ行く。木の葉が風に揺れている。
「じゅん、泣きたいときは泣いていいよ、オレがだっこしてあげるから。」
気を使ってわざと変な事を言ってくれたので、半分泣きながら笑ってしまった。
「ねえじゅん、コーヒー淹れてあげるよ。」
「うん。」
「じゃあ三階の特別室へどうぞ。」

 カオルの部屋の窓からの眺めは、ぼくの二階の部屋からのものより高さも角度も違うのでとても新鮮に感じる。
「カオル、あの黄色い花はなに?」
カオルはいつものようにコーヒー豆を変なスプーンで量って、手動のミルへ入れている。
「あの、茂みの中のだろ?キスゲとかいうんじゃないの?ほら、よく尾瀬とかのパンフレットに写真がさあ、一面黄色になって咲いてる、あれの仲間じゃない?」
「尾瀬か。あの花、オレの部屋からだと見えないんだよ。手前に木があるから。」
ぼくは窓から離れて、カオルがミルをゴリゴリさせているのを眺めた。まだ頭が痛い。こめかみを指で押してみる。
「じゅん、頭痛薬あるけど、飲む?」
ミルを回す手を止めてそう言った。
「さんきゅー。でもなんとかなりそう。」
「そう?」
カオルはちょっぴり顔をしかめてからまたゴリゴリと挽き始める。
「カオル、寝てないんだろ?ごめん。」
「大丈夫だよ、若いから。あとで寝るよ、今日バイトないし。なんか徹夜のあとってテンション上がっちゃってさ、なかなか寝られないの。」
「ならいいけど。」
ペーパーに折り目をつけてドリッパーにセットする。粉をそこへ大切そうに入れる仕草がかわいい。
「おまえ、かわいいお嫁さんになれるよ。」
「じゅんのお嫁さん?」
「うーん、どうかな。」
カオルは、沸いたお湯を口の細いポットに移してから、コーヒーにポタポタと落とす。
「じゅん、今日はどうするの?」
「頭痛がおさまったらスーパーにでも行くよ。」
「地味だなあ。もっとさあ、映画に行くとか海を見に行くとか、そういうのはないの?」
「自分だって出不精なくせに。」
「それは言わないでよ。」
コーヒーの粉のふくらんだ真ん中から『の』の字を書くようにお湯を注ぐカオルの顔が、ちょっぴりうれしそうに歪んでいる。濃い液体がサーバーに落ちて溜まっていく。
「図書館に行ってからスーパーかな。」
「じゅん、図書館に行くことあるの?」
「あるよ。だいたい午前中だから、おまえが寝てるときだな。」
「ふうん。」
カオルは慎重にお湯を注ぐ。
「ねえ、じゅん。オレがコーヒー淹れるのそんなにおもしろい?」
「え?」
「すごーく見つめられてる。」
「おもしろいよ。なんかこう、儀式みたい。」
「儀式ねえ。あのさ、じゅん。もしもじゅんが死んじゃったらって思ったらさ、言いたいことは言っといたほうがいいと思ったんだよね。」
「なんだよ、急に。いいよ、文句でも告白でもしていいよ。」
「オレ、じゅんと知り合えてよかったよ。友達でよかったと思ってるよ。」
突然そんなことをマジメに言われるとはずかしくなる。
「それはどうも。オレもカオルに会えてよかったよ。」
「ホントにそう思ってる?」
「思ってるよ。嘘じゃないよ。」
「時々考えるの。オレがいなくなっても誰も困らないんじゃないかって。じゅんはほら、読者がいたりラジオのファンがいるじゃん。オレはただのコンビニマンだもん。いくらでも代わりがいるし。」
カオルはできたコーヒーをふたつのカップに交互に注ぐ。
「でもさあ、読者もリスナーも、オレじゃない人に交代しちゃえばすぐそれに慣れちゃうんだと思うよ。さびしいけど。」
「そうかな。」
「そうだよ。だからおまえもオレもたいして変わらないって。」
差し出されたカップを受け取る。
「すごくでかい会社の重役だったとしてもさ、いなくなったら誰かが代わりになって、それでも会社はまわってくんだもん。」
「そう考えるとさあ、人間の価値って微妙だね。」
「哲学者みたいになってる。」
「だって、じゅんが電気つけたまま寝たのがそもそもいけないんだよ。死んじゃったのかと思ったんだから。」
「悪かったってば。ごめんごめん。でもオレはおまえの価値を認めてるから心配すんな。」
「そうだね、オレもじゅんの存在は大切だよ。」
「オレもおまえが死んじゃう前に言っておかなくちゃ。オレ兄弟がいないからさあ、おまえといると兄弟みたいでたのしいよ。きっと弟ってこんなんだろうなって思う。」
「死んじゃう前に聞いてよかった。」
ふたりとも黙り込んでコーヒーを飲んだ。ぼくはカオルの絵の前に行く。カオルも来る。絵を前にしてコーヒーをすする。絵の中の黒い犬はどこかしあわせそうに歩いている。
「どうしてもこのあたりがうまくいかないんだ。」
カオルは建物の屋根のあたりを指す。
「オレにはどううまくいかないのかさっぱり。そうだ、この絵できあがったらオレに貸してよ。オレの部屋に飾りたい。」
「マジで?」
「マジで。だって今までの絵だってしまいこんであるんでしょ?もったいない。」
「う~ん・・・。わかった。」
「やった!」
カラになったカップをシンクへ持って行く。カオルもついてくる。
「洗うよ、貸して。」
カオルからカップを受け取る。
「じゅん、頭痛はどう?」
「あ、そういえば良くなってきた。コーヒーのおかげかな。」
「絵の具のにおいのおかげかも。」
「あ、昨日ヒジカタさんに言っといたよ、山草展のこと。花崎さんにも言ってくれるって。」
「そう、よかった。」
「じゃあね、ぼっちゃまありがと。おやすみ。」
「うん。」
部屋を出て静かにドアを閉める。二階へと階段を下りる。そういえば今日のカオルの部屋は静かだったな、と気付く。いつも必ずラジオか音楽をかけるのに。ぼくの頭痛を気遣ってくれてたんだ、きっと。さんきゅー、カオル。
by whitesnake-7 | 2007-12-20 07:07 | 11.~15.
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