五月二十五日(月)
いつも朝五時前後に目が覚める。ぼくがゴソゴソ起き上がったら、らんまるも目を開けて首を持ち上げた。まーちんは何時頃起きてるのか知らないけれど、らんまるはもう少し寝ていたいようだった。まだ起きなくてもいいよ。オレは原稿を仕上げちゃうから、当分寝てていいよ、とらんまるを軽く抱きしめて挨拶してからユニットバスの洗面所へ行く。らんまるがドアまでついてくる。 「そうか、おまえの水を取り替えてあげなくちゃね。」 ぼくが部屋を行ったり来たりするのに、らんまるはいちいちついてきた。なんだかそれがいとおしかった。らんまるは新しい水に、興味はないようだった。頭をなでて再び洗面所へ行く。顔を洗ってひげを剃って、うがいをして。その間もらんまるは後ろに立っていた。 「オレがそんなにめずらしいか?昨日からずっと一緒にいるのに。」 もう一度抱きしめると、しっぽをパタパタさせている。かわいいヤツ。ぼくは着替えをして、冷蔵庫からミネラルウォーターを出し一口飲む。窓を少し開けてぼくが机に向かうと、らんまるもほっとした様子で毛布に腰を下ろす。ぼくは昨日の続きを書き始める。らんまるが足元に寝そべっているのが、ずっと前から毎日のことだったように思えてくるから不思議だ。鳥のさえずりが聞こえる。気分がいい。 六時半にはもう原稿を書き終えることができた。明日は編集部に届けに行ける。今どき原稿を原稿用紙に書いて届けに行くのはナンセンスなのだろうが、ぼくはずっとそうしている。編集の笹山氏がごくたまに、パソコンかファックスで送ったら、と言うけれど。(締め切りには間に合っているので強くは言わない。)ぼくは週に一度新宿の出版社へ行くのは苦ではなかった。都会が好きなわけではないけれど、都会の空気を吸いに行くのは嫌いではない。時々知らない店で食事をしたりするのもたのしい発見がある。原稿のネタにもなるというものである。火曜日はそんなふうに新宿へ通い、木曜日はラジオの録りに荻窪のスタジオへ行く。ラジオ局は荻窪ではないが、ぼくの番組くらいならラジオ局へ行かなくても小さなスタジオがあればそこで間に合ってしまう。 らんまるのゴハンまでの時間は、番組でかける曲を選ぶことにした。しばらくマイケル・シェンカーもかけてないな。そうだ、梅雨に入ったらホワイトスネイクの『CRYING IN THE RAIN』をかけよう。ぼくがこの手のジャンルが好きになったのは、亡き母の影響である。彼女はたくさんのレコードを残してくれた。ジューダス・プリーストだとかディープ・パープル、レインボーなんかが大好きだったが、一番のお気に入りはホワイトスネイクだった。デイヴィッド・カヴァーデイルの大きなポスターをキッチンに貼っていたのを覚えている。チープ・トリックを歌っていることも多かった。・・・ついこの前のように思える。 朝からホワイト・スネイクを聴きながら(もちろん、迷惑にならない音量で)レコードやCDをかきまわしているうちに、七時近くなった。カオルの部屋に電話をかける。言われたとおり、ベルを五回鳴らして受話器を置いた。 「起きたと思う?こんなので。」 らんまるは舌を出してうれしそうな顔をしている。とりあえず、カオルが来るまではらんまるのゴハンはおあずけである。さて、自分のゴハンを考えよう。昨日カオルが持ってきたパンをトーストするか。それに味噌汁の残り?プラス納豆???やっぱりトーストはやめてご飯の残りをチンしよう。そんなことを考えていたら、トントトン。ノックの音。 「じゅーん。」 「お、ホントに起きた。眠そうだねえ、おはよう。」 「おはよう。らんまるも、おはよう。」 抱きついている。らんまるはしっぽで答えている。 「らんまるのゴハン、やりたいんだろ?」 「うん。早起きは三文の徳だよねえ。」 ぼくがドッグフードの袋を差し出すと、カオルは容器にそれを量って出した。 「待てをするの?」 「オレはお手と待てをさせたけど。」 「らんまる、お手。」 らんまるはお行儀良く座って、言われたとおりお手をする。 「こいつかわいいな。おかわり。そうそう、上手だね、もう一回お手。」 カオルはお手が気に入ったらしく、何回もやらせている。 「待て。・・・・・よし、いいよ。」 待ってましたとばかりに、容器に鼻先をつっこむ。忙しく食べる姿を、カオルはしゃがみこんで見つめている。その時、電話が鳴った。 「はい、立花です。」 『じゅん、オレだけど。』 「まーちん?おはよう。どうだったの?」 カオルがぼくの顔を見る。 『ダメだった。』 「そうか・・・。受かるとばっかり思ってたのに。」 カオルも、がっかりした顔になった。 『やっぱ福岡の壁は厚かったよ。でもね、東京の業界人に名刺をもらったの。』 「すごいじゃん。」 『じゅん、今日忙しい?』 「忙しくないよ、なに?」 今日その人のところへ行ってみるから、夜までらんまるをたのむ、ということだった。受話器を置く。 「じゅん、今日もらんまるといられるんだったら、また散歩に行こうよ。」 この子供みたいな笑顔には勝てないと、いつも思う。 「そうだね。」 「じゅんの番組は予約録音されるから大丈夫。朝メシ、食ったの?」 「まだ。」 「ハンバーガーかなんかにしてさ、公園に行こうよ。あ、原稿大丈夫?」 「書き終わったよ。おまえ、バイトは?」 「六時からなの。」 「じゃあゆっくりできるな。」 「オレ、起きたまんまだからさ、着替えてくる。」 カオルはドアの外に出たとたんに、あ、おはようございます、と言った。ヒジカタさんの声がする。ぼくも廊下に出る。 「じゅんくん、おはよう。」 「おはようございます。昨日のわらび、おいしかったです。」 「そう、良かった。ちょっとたのみたいことがあるの。カオちゃんが起きてるならカオちゃんでもいいんだけど。写真を撮りたいのよ、妹と。」 「ああ、ぼくが撮りますよ。カオル、着替えてこいよ。」 「うん。」 カオルは三階へ行った。ぼくがヒジカタさんについていこうとすると、ドアの内側かららんまるがクンクンと悲しそうな声を出した。やっぱりダメか。 「すぐ行きますから。」 ぼくが言うと、急がなくていいわよ、とヒジカタさんは階段をおりて行った。らんまるにリードをつけて、ドアのカギをかけ、一階へ下りる。らんまるの足取りは軽い。ヒジカタさんと妹さん達は廊下にいた。部屋の中より外で撮りましょうよ、とヒジカタさんが言って、みんなで外に出た。 「あら、きれい。これなあに?」 からし色のブラウスを着た方の妹さんが言った。 「チリアヤメよ、あら、今日はずいぶんたくさん咲くわねえ。」 昨日花崎さんに教えてもらったなんとかアヤメは、チリアヤメだったか。本当にたくさん咲いていた。そばで見ると、ひとつひとつ端正な形の美しい花だ。 「らんまる、見てごらん。」 ぼくは小さな声でらんまるに言った。らんまるは鼻を近づけてクンクン。 「この木の前でいいわよね。」 三人がキンモクセイの前に並ぶ。 「ねえ、ワンちゃんも一緒に入れていいかしら。」 「あ、どうぞ。」 にぎやかな女性たちのおしゃべりを聞きながら、ぼくは何回もシャッターを押した。立って並んだり、ひとりがしゃがんでみたり。しばらくするとカオルもやっと出てきた。 「かわいいおにいさんとも撮りましょうよ。ねえさん、写してよ。」 「そうね。」 なんだかぼくらまで巻き込まれて、入れ替わり立ちかわり何枚も撮った。 「あと二枚あるわ。じゅんくんとカオちゃん、犬と一緒に撮ってあげるわよ。」 三人の女性に、こうした方がいいとかひとりは座った方が、とかいろいろ言われながらぼくらは残りの二枚に納まった。 「ありがとうございました。」 ぼくらがお礼を言うと、こちらこそ、とそれぞれ頭を下げた。 「カオちゃんたち、出掛けるの?」 「ええ、今夜犬を帰しちゃうんで名残惜しんでおかないと。」 カオルはらんまると別れるのがさびしそうだ。ぼくももう少しらんまると暮らしたい気分。 「私たちもね、散歩に行こうと思ってるのよ。多恵ちゃんの特急の時間までだいぶあるから。多摩御陵、一緒に行かない?」 「あら、若い人は若い人同士がいいでしょう?おばちゃんと一緒じゃあねえ。」 「いえ、そんなことないですよ。」 「ねえさん、あそこは犬はダメなんじゃない?それにおばさんと一緒じゃ気を使うものね。別々がいいわよ。」 「あら、残念ね。じゃあ、おむすび作ってあげるわ。少し待っていられるでしょ?」 「え、いいんですか?」 「どうせ私たちの分も作るから。ね、それ持ってお散歩に行けば?」 「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて。」 ぼくらはおむすびを待つ間、庭で日向ぼっこをしていた。らんまるも気持ちよさそうに伸びをする。所狭しと置かれた植木鉢をながめる。ピンクの花をつけた草や、まだ実らない緑色の実をつけた小さな木など、さまざまなものがある。ヒジカタさんと花崎さんがいとおしんで世話をする姿を知っているので、この草花たちは彼らの子供たちのように思える。 「ところでじゅん、どこ行く?」 「おまえE-CAFEに行きたいんだろ?だったらまた富士森公園でもいいし。」 「思い出した、昨日の豆うまかったなあ。」 「オノデラクンのやつね。」 「富士森公園の藤棚のところでおむすび食べようよ。いい?」 「そうしよう。」 しばらくするとヒジカタさんが紙袋を持って出てきた。 「お待たせ。はい、これ。それにしてもいいお天気で良かったわね。」 「いつもいろいろすいません、遠慮なくいただきます。」 ぼくらは紙袋を受け取り、アパートをあとにした。
by whitesnake-7
| 2007-12-24 07:07
| 6.~10.
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