カテゴリ:21.~25.( 5 )

21.

 店に着くと、見るからに仕事に追われている店長(らしい男の人)がいた。客が多い。レジに四人くらい並んでいるし、店内にも数人いそうだ。
「あの、城石の代わりに来たんですが。」
「ああ、君が。ちょっと待って。」
店長は手際よく次々とレジをこなした。レジの客が途切れると、ぼくに言った。
「店長の岡田です。」
「立花です。」
「立花くんね。よろしくたのむよ。じゃあこっちに来て。」
ぼくは店の奥へ入って行った。狭い部屋にロッカーがある。そのひとつに“シロイシ”と書いてあった。店長はどこからかオレンジ色のエプロンを出してきた。
「これをしてくれる?」
店のマークが描いてある。
「あ、はい。」
「荷物があったらここに入れておいてね。じゃあこっちへ。」
「はい。」
エプロンのひもを結びながら(急ぐとなかなかうまくいかない)彼のあとをついて行く。
「手を洗ったら飲料を出してください。ここにある箱が全部そうだから。冷蔵ケースに、こうやって、わかる?」
「わかります。」
「上下を間違えないようにたのむね。」
「はい。」
コンビニで冷蔵ケースから飲み物を取ろうとすると、向こう側で品物を補充している店員と目が合ったりすることがあるが、自分がそっち側になるとは思わなかった。
「それが終わったらパンとお弁当を並べ直してくれる?」
「はい。」
店長はまたレジに追われている。ぼくは黙々と飲料の補充をした。ずいぶん減っていたので、どんどん新しい箱を開けなくてはならなかった。しかし、慣れてくるとこの作業も結構楽しめた。午前中にあったイヤなことも忘れていられた。飲料の補充が終わると、言われたとおりパンとお弁当のところへ行って、奥のほうにあるものを手前に出したり、そろえて並べた。次の指示を仰ごうとしても店長は次から次へとやってくるお客さんの対応に精一杯だったので、(レジを手伝えればそれにこしたことはないのだが)お客さんの邪魔にならないようにお菓子や雑貨の減っているものを前へ出してみたり、ゴミを拾ったりしていた。すると、五十代くらいの女性客が店長に話しかけていた。
「ねえ、今日はあのかわいいおにいちゃんお休みなの?」
「ええ、そうなんですよ。」
「水曜日以外はいつもいるじゃない。寂しいわねえ、昨日来ればよかったわ。」
「毎日来てくださいよ。お待ちしてますから。」
彼女は、ほっほっ、と大きな声で笑った。そうだよな、カオルにもファンがいるんだな。ぼくは離れたところで微笑んでしまった。
「立花くん!」
「は、はいっ。」
急いで駆け寄ると、店長はレジの引き出しを覗きながら言った。
「悪いけど、銀行に行って来てもらっていいかな。」
「え、ぼくでいいんですか?」
「百円玉がなくなりそうなんだよ。私は店から離れられないし、後藤くんもまだ一時間は来ないし。」
「信用していただけるんなら行って来ますけど。」
「もちろん信用してるよ。城石くんの友達だからね。窓口が閉まってしまうから急いでね、じゃあこれを持って・・・。」
銀行の場所を教えてもらい、現金の入った小さなバッグを渡された。ぼくは走った。見慣れない道を。なんだか気分が良かった。風が背中を押していた。

 午後七時、ぼくがアパートの駐輪場にスクーターをとめていると、音を聞きつけてカオルが出てきた。
「じゅん、おかえり。」
「おう、行ってきたぞ。」
「悪いね、こんな時間まで。」
「いいよ、一日くらい。それよりこれ、こんなにもらっちゃって。」
「すごいね。パン?持つよ。」
「そうだ、まーちんからチケット届いたよ。」
「そう。」
階段を上る。
「それで、どうなのさ、おまえは。」
「うーん。」
ぼくの部屋に入る。留守電を解除し、手を洗う。
『用件は、ありません。』
「で、どうだったの?」
「耳も目も頭の中もべつに異常はないって。息苦しいって言ったら肺のレントゲンと心電図もやったんだけど・・・。心療内科へ行くようにって言われた。」
「心療内科?まだ検査するの?」
「わからないけど。ストレスとかでそうなる人も多いんだって。だから明日は心療内科。でも心配しないで、いまのところどこも悪くないんだから。」
「そうだね。夕飯食べた?」
「まだ。」
「じゃあこのパンの山をなんとかしよう。あの店長さんいい人だね。仕事もできるし。」
「でしょ?いい人なの。」
「立川もいい街だし。いい気分転換になったよ。」
「よかった、そう言ってくれるところがじゅんのいいトコなんだよなあ。」
「なに飲む?ああ、その袋の中にも入ってるっけ。」
「ペットボトルが四本も入ってるよ、重かったでしょ。」
「そのお茶でいいや。カオルは?」
「ずいぶんいろいろくれたんだね。オレもお茶にする。」
店長がくれた袋には飲み物とパン、おつまみ風の裂きイカやナッツまで入っていた。
「じゅん、ごめんね。」
「なんだよ突然。」
「疲れたでしょ?じゅんは頭脳労働者だからコンビニマンなんて向かないよ。」
「いや、役には立たなかったかもしれないけど、オレは結構楽しかったよ。」
「ホントに?」
「ああ。」
「明日おごるね。」
「心配しなくていいよ。ちゃんと日当ももらったし。」
「でも明日はおごるよ。」
「じゃあごちそうになるよ。」
カオルがいつもの無邪気な笑顔になった。
「・・・ねえ、じゅん、あれなに?」
窓の方を指さした。グラスに挿した枝と、その横にはりんごがひとつ。
「ああ、あれ。・・・おまじないみたいなものかな。」
「お月見みたいだね。ねえ、おまじないと言えばさあ、気になってたんだけど。」
「なに?」
「ほら、布袋様にお願いにいったじゃん。そしたらまーちんのデビューが決まったでしょ?布袋様にお礼に行かなくていいの?」
「布袋様か。そうだね、明日帰りに寄ってみよう。」
 カオルが三階へ帰ってから、栃木のおやじから電話があった。新しいパソコンを買うから今まで使っていたものをくれるということだった。用件だけ言って、ぶっきらぼうに切った。おやじも一応元気そうだったので安心した。
 風呂から出て、熱くなったので窓を少し開けた。いい風。グラスの枝を見る。この葉がうまいのかな。水を換えておこう。それにりんご。あいつが食べに来るかもしれない。ぼくはりんごをひとかけら剥いて、それをさらに小さく刻んだ。小皿にのせてラップをし、枝とともにまた窓辺に置いた。まるで月に供えるように。
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by whitesnake-7 | 2007-12-10 07:07 | 21.~25.

22.

   六月三日(水)

 目が覚めると、鳥のさえずりが聞こえた。起き上がる。夢はみなかった。・・・と思う。窓辺を見る。変わった様子はない。近づいて見ても、りんごはそのままだった。あたりまえか。
 また八時にカオルを起こして昨夜の続きでパンを食べ、一緒に医者へ行った。待合室で一時間程待たされた。
「城石さん、お入りください。」
「はい。」
カオルはちょっぴり緊張気味にドアの向こうへ消えた。
 待合室には大きな籠にいっぱいの造花が飾られていた。造花はあまり好きではないがそれはわりと落ち着いた色合いで、殺風景な部屋を穏やかにしていた。
 カオルが出てきたのは、診察室に入ってから五十分も経ってからだった。
「お待たせ。」
「おかえり。どう?」
「不安神経症みたいだって。」
「不安神経症?」
「よくわからないけど、ストレスとかそういうのが身体にも出ちゃうみたい。」
「そうか。・・・でも原因がわかってよかった。」
「精神安定剤を呑むんだって。そうすると軽減するらしい。」
「じゃあ良くなるわけね。」
「多分。」
出された処方箋を持って薬局へ行き、薬を受け取った。
「あー、三日間の医者めぐりも終わったー。」
「おつかれさん。じゃあ打ち上げに行くとしましょう。」
「うん。」
 ぼくらはバスを乗り継いでE-CAFEへ向かった。

「いらっしゃいませ。」
ドアを入るといつもの笑顔がぼくらを迎えてくれた。なんだか急に肩の力が抜けたみたいだ。
「こんにちは。」
もう一時を過ぎていたので、お客さんもピークを越えたらしかった。
「カオル、ほら。」
「う、うん。」
ぼくらはカウンターにいるジュリアさんに近づいた。
「あの、傘、ありがとうございました。たすかりました。」
「ああ、よかったわ、お役に立てて。」
ジュリアさんは(カオルが二十分かけてたたんだ)傘を受け取った。
「それと、あの・・・。」
「なあに?」
「やっぱり、じゅん、お願い!」
ぼくにチケットの入った封筒を押し付けた。
「あ、あの、突然ですいません。土曜日の夜はお忙しいですか?」
ぼくが言うと、彼女は少し考えた。
「今度の土曜日?」
「はい。ぼくたちの親友がロックバンドをやってるんですけど、土曜にライブハウスでプロデビューするんです。ぼくらも行くんですけど、あと二枚チケットがあるんで・・・もしよかったら弟さんとどうですか?」
よし、うまく言えた・・・かも。
「私なんかにくださるの?」
「無理にではないですから気にしないでください、もし時間があったら・・・。」
「行きたい。弟もよろこぶわ。何時からかしら。」
ぼくはチケットの封筒を渡した。
「七時からです。でも渋谷の方なんで・・・。」
「大丈夫、行けるわ。本当にいいの?ありがとう。弟が都心に住んでるからちょっと寄ってこようかしら。」
「じゃあ、現地で会いましょう。」
後ろでチリン、とベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。」
ぼくらはカウンター席に座ることにした。
「こんなステキなお友達がふたりもできたらうれしくなっちゃうわね。」
水のグラスを置きながら彼女はそう言った。友達・・・そう、カオルの望んでいたこと。
「と、友達になってもらえるんですか?」
カオルが言った。
「こっちこそ、年上のオバサンでよろしかったら。」
「オバサンだなんてそんな、そんなことないです。」
カオルはまるでお見合いをしているようだったので、笑ってしまった。
「ランチをふたつお願いします。ぼくはモカ、カオルは?」
「ぼくも。」
「ありがとう。」
彼女は伝票を書いてシェフの前に出すと、他のテーブルへグラスを運んで行った。
「じゅん、オレ、立花潤の友達でよかったー。」
「なんだよ今さら。」
「だって、じゅんがフツーの人だったら誘っても警戒されるじゃん。」
「おまえみたいなかわいい童顔に警戒もなにもないよ。」
「でも断られそうだもん。じゅんがいてよかったよ、感謝!」
満面の笑みである。しあわせそうなカオルを見るのは悪くない。オノデラ・シェフはポーカーフェイスで皿を並べている。
「小野寺くん、三つ追加でお願い。」
ジュリアさんが戻ってきて言った。シェフは返事もせずに皿を出し、その上に野菜を手早く盛り付ける。ジュリアさんはスープカップを出して、丁寧にスープを注ぐ。Yシャツの白い襟がまぶしい。
「今日のはとってもさっぱりしたスープよ。」
そう言って彼女はぼくらの前にスープを置いた。
「いただきます。」
彼女はまたすぐに他のテーブルへ行き、皿をたくさん持って戻ってきた。
「小野寺くん、ランチあといくつあるかしら。」
シェフは冷蔵庫を見て、四つ、と答えた。ジュリアさんはぼくらの前にサラダを出した。
「ねえ、このトマト、オーナーの庭で採れたものなの。完熟よ。」
レタスやアルファルファの横に鮮やかな赤いトマト。
「オーナーは野菜も作っていらっしゃるんですか?」
「土いじりが好きなのね。花も野菜も・・・奥様と一緒になさるのよ。」
スープを三つ運んで行った。
「ホントにこのトマトうまい。じゅん、このヒョロヒョロしたのはなに?」
「おまえはアルファルファを知らないの?もやしの一種だな。」
「もやしか。なんだかわからないけど、おもしろい。」
シェフが下の方からなにか取り出したと思ったら、グラタンらしい。香ばしい匂いが立ち込めた。シェフの表情が満足そうに変わった。
「あら、ベストのこげ色じゃない。最高。」
ジュリアさんが来るなりそう言った。それはすぐにぼくらの前に出された。このくらいのサイズならふたつくらいは食べられそうな、上品な大きさだ。
「熱いから気を付けてね。」
ぼくはまた母親を思い出していた。ぼくがいて、母がいて、あたたかい料理がある。それがどうして長くは続かなかったのだろう。どうしてあんなに早く召されてしまったのだろう。神様は不公平だな・・・。
「じゅん、固まってるけど生きてる?」
「あ、うん。ちょっと物思いにふけっちゃった。」
シェフが腕組みをしている。あとのグラタンとにらめっこしているらしい。
「ありがとうございました。」
誰かが帰った。ジュリアさんの声はやわらかい。テーブルを片付けて戻ってきたジュリアさんは、カウンターにコーヒーカップを五つ並べた。コーヒーを待っているそのカップたちを見ていたら、次の原稿を書こうかな、と思った。ここは本当にラッキー・プレイスなのかもしれない。落合さんの言葉は忘れられないけど、そんなことはもうどうでもよく思えた。ジュリアさんが出来立てのグラタンを運んでいく。シェフが皿を洗い始めた。太いシルバーのネックレスが光っている。
「じゅん、ジュリアさんに電話番号教えといたほうがいいよね。」
「あ、そうだね。」
カオルはデイバッグから小さなスケッチブックを取り出した。一枚を破り取る。
「オレ、字ヘタだからなあ。」
そう言いながら、『城石馨』と書いて電話番号を書いた。
「はい、じゅんも。」
「オレも?」
隠す必要もないのでぼくも同じように書いた。ちょうどジュリアさんが戻ってきた。
「ジュリアさん、これ。連絡とれないと困るかもしれないから。」
カオルが渡した紙を受け取った彼女は少し驚いた様子だった。
「いいの?」
「ええ。」
「じゃあ私も。」
彼女は二枚の白い伝票の裏に自分の電話番号を書いて、カオルとぼくにくれた。
「これ、ケータイの番号じゃないですか、いいんですか?」
「友達ですもの。」
「ぼくたちふたりともケータイ持ってないんです。」
「あら、めずらしいわね。」
「時代遅れですよね。」
「そんなことないわよ。持ってればいいってものでもないわ。」
彼女は丁寧にコーヒーを淹れている。ポットをゆっくりと動かす。カオルがコーヒーを淹れるときと同じだ。ずっとこのままで時が止まればいい。・・・確かこの前もそう思った。
「ジュリアさんはいつお昼食べるんですか?」
カオルが訊いた。
「その日によるけど、そうねえ、二時半頃かしら。」
「そのあいだはお店は?」
「小野寺くんがやってくれるの。私の休憩が終わると彼が四時半まで休憩して、私は五時で終わって、あとはずっと彼が。夕方はね、小野寺くんのファンの女の子がたくさん来るのよ。フフ。」
ああ、そうなんだろうな、と素直に思った。
「お待たせしました。モカね。」
「あ、ありがとうございます。」
ジュリアさんはあと三つのカップのためにコーヒー豆を挽いた。
「じゅん、布袋様って何時まで?」
「布袋様に何時なんてあるのかなあ。でも一晩中開いてるわけないか。五時頃かなあ。」
「じゃあもうしばらくここにいてもいい?」
「今日はバイトもないしね。いいよ、気が済むまでいても。」
ジュリアさんがコーヒーを淹れ終えて、テーブルへ運んで行った。
「カオル、薬呑まなくていいの?」
「あ、そうだ。」
シェフが食器を洗い終わって手を拭いている。カオルはデイバッグの中を探している。ジュリアさんが戻ってきた。
「一服してくる。」
シェフがジュリアさんにそう言ってカウンターの奥の扉から出て行った。
「お皿、お下げするわね。」
「ごちそうさまでした。グラタン久しぶりに食べましたよ。おいしかったです。」
「そう、よかった。」
チリン、とベルの音。
「いらっしゃいませ。」
「あー、ジュリちゃん久しぶりー。」
「まあ岡野さん、こんにちは。どうぞおかけください。」
入ってきた年配の女性はジュリアさんの知り合いらしかった。窓際の席に座ったようだ。ジュリアさんが水のグラスを持って行った。
「あった。これとこれをひとつずつか。」
「水で呑めよ。」
「うん。」
後ろで彼女たちの笑い声が聞こえる。なごやかな雰囲気だ。ジュリアさんはすぐに戻ってきた。奥の扉を開けて、小野寺くーん、と呼んだ。サラダとスープの用意をしていると、シェフが入ってきた。
「ランチひとつね。もう二時だからこれがラストね。私の分も焼いてくれる?」
「OK。」
そうか、ジュリアさんもここのランチを食べるのか。
「そういえばじゅん、カメラ買ったの?」
「買ったよ、おもしろいよ。今度ぼっちゃまも撮って差し上げましょう。」
「オレはいいよ。」
「庭の花を撮らせてもらったよ。現像してないけど。」
 ジュリアさんは接客を終えるとランチを持って扉の向こうへ消えた。ぼくらは、彼女が休憩から戻るまでくだらない話をしていた。シェフは伝票を数えたりしていた。
 三十分程でジュリアさんは戻ってきた。
「まだいてくださったの?」
「ケーキください。」
カオルが無邪気に言う。
「ありがとう。今日はポテトのケーキとブラウニーがあるわ。」
「ジュリアさんは作ったんですか?」
「ええ、ブラウニーを。」
「じゃあ、それがいいな。じゅんはどう?」
「ぼくもそれいただきます。」
「ブラウニーふたつね。ありがとう。」
彼女は冷蔵庫から冷えた皿とケーキを出した。カオルの態度を見ていれば、よほど鈍感でないかぎり彼女はカオルの気持ちをわかるだろう。少なくとも、好感を持ってくれている、くらいには。
「小野寺くん、あとはやるわよ。」
シェフは手を洗いながら軽くうなずいて扉から奥へ。ジュリアさんはぼくらの前に静かにケーキを置いた。
「わー、おいしそう。やっぱりコーヒーももう一杯飲みたいな。じゅんは?」
「じゃあぼくも。」
ジュリアさんはニコニコしている。
「今度はブラジルを。」
「じゃあ、同じで。」
「ありがとう。」
ジュリアさんはぼくたちのためにコーヒーを淹れる。
「ジュリちゃん、ごちそうさま。」
「あ、ありがとうございました。」
さっきの女性がレジのところに立っている。レジを済ませ、ジュリアさんと挨拶をして出て行った。
「ブラジル、お待たせしました。」
「このケーキすごくいいですね。カオル、おまえナッツ大好きだもんな。」
「うん。大好き。」
ジュリアさんはしばらくぼくらがケーキを食べるのをうれしそうに見ていたが、さっき帰った人のテーブルを片付けに行った。
「そうだ、ゆうべおやじから電話があってさ、中古のパソコンくれるんだってさ。」
「へえ、じゃあそれで原稿書くの?」
「まだそれは考えてないけど。」
「ねえ、じゅんはどうして医者にならなかったの?」
「キライだもん。それにコンピュータやりたかったから。おまえこそなんで機械音痴なのに情報処理科になんか。」
「近くて都立だったから。それに、コンピュータを作るわけじゃないじゃん。」
「無茶な選び方。」
「じゅんが最初に勤めた会社、どうなってるんだろう。」
ジュリアさんが戻ってきて食器を洗い始めた。
「どうもなってないでしょ。今でも時々前を通るけど。」
「プログラマーって疲れるよね。」
「プログラム自体はそうでもなかったけど、印刷する量がハンパじゃなかったね。」
「またやりたい?」
「オペレーションはやりたいな。でも徹夜はイヤ。」
「あのころじゅんの家に電話してもいつもまだ帰ってないって言われた。オレは日曜が休みじゃなかったしさ、全然会えなかったよね。」
「それに比べて今じゃ殆ど毎日のように会ってる。」
「夫婦より会ってるかもね。」
聞いていたジュリアさんも笑った。
「カオル、そろそろ行こうか。」
「うん。おいしかった。ごちそうさまでした。」
「ごちそうさま。」
「ありがとう。土曜日、たのしみにしてるわ。」
ぼくたちはレジを済ませると、お互いに会釈をして別れた。
 坂を下って行く。
「こんな時間までいたの初めてだね。」
「おまえのバイトの時間によるからね。」
「ねえ、ホントに友達だと思う?」
「眠れそうもない?」
「夢に出てきそう。でもひとつ心配がある。」
「なに?」
「・・・あの人、まーちんを見たらきっと好きになるよ。」
「そういうのを取り越し苦労っていうんじゃない?」
「まーちん、カッコイイもんなー。」
「まーちんには陽子ちゃんがいるじゃん。」
 信松院に着くと、カオルは布袋尊まで走った。やれやれ、と思いながら追いかける。
「じゅん、五円玉がない。十円でもいい?」
「その方がよろこぶかもね。それより線香が先。」
線香に火をつけ、鐘をチーンと鳴らす。カオルは三回も鳴らした。大きな布袋様の前へ行って賽銭を入れ、カオルが先に布袋様のおなかをさすった。
「おかげさまでまーちんがデビューできます、ありがとう。」
そう言って手を合わせた。ぼくもおなかをなでながら、
「カオルとぼくに友達ができました。」
と言ってみた。するとカオルはまた布袋様のおなかにさわりながら、
「まーちんには陽子ちゃんがいますので、そこんとこよろしくお願いします。」
わけのわからないことを言って、また手を合わせた。

 りんごがない。きれいになくなっている。小さく刻んで小皿にのせておいたのが。ぼくはしばらく窓辺に立ちつくしていた。窓はちゃんと閉まってカギがかけてある。ドアだって今ぼくがカギを開けて入ってきたのだ。・・・ネズミ?ぼくの部屋にはネズミがいるのか?最近のネズミはラップをちゃんとたたんで帰るのか?ぼくの中で夢樹の存在がだんだんと確かなものになっていく。夢の中だけじゃなく、現実に彼はここに現れたのだ。
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by whitesnake-7 | 2007-12-09 07:07 | 21.~25.

23.

   六月四日(木)

 「ただいま聴いていただきましたのはエリック・クラプトンの『BLUE EYES BLUE』でした。ぼくの親友がクラプトン好きなので、この番組にしてはめずらしくかけてみました。実はもうひとり親友と呼べるヤツがいるんですが、彼がライブハウス・デビューすることになりまして、いや、この放送が流れるころにはもうデビューしてるはずなんですが、そのライブを見に行く予定です。よくハガキで、八王子のどこに行けば立花さんに会えるんですか、とかいうのがあるんですけど、渋谷のとあるライブハウスへ行った人はもしかしたらぼくに会ったかもしれませんね。特別ハンサムでも派手でもないので、多分気付かれないと思いますけどね。ではそのデビューする彼がライブで披露する曲のひとつをおかけしましょう。ヴァン・ヘイレンの『SOMEBODY GET ME A DOCTOR』。」

   (二日後)六月六日(土)

 午後、カオルの部屋のドアをノックする。
「カオル、起きてる?」
「起きてる。」
ちょっと元気のない声が返ってきた。ドアを開ける。ラジオがしゃべっている。カオルはベッドの上に座っていた。
「どうした?具合がよくないか?」
「ううん、だるいだけ。コーヒー飲む?」
「うん。大丈夫か?」
「薬のせいだと思うんだけどさ、眠くて。」
彼は冷凍庫からコーヒー豆を出して量る。ぼくがやかんを火にかける。
「バイトの時はさすがに目は覚めてるんだけど。」
彼は豆を挽き、ぼくはカップを出す。
「何時に起きたの?」
「一時間くらい前かな。」
「なんか食べた?」
「ううん。」
「ライブの前に食事に行くとしても、少しでも食べておいた方がいいよ。」
「うん・・・。」
本当にカオルらしくない。無邪気で元気なカオルじゃないと調子が狂う。
「おまえ、そんな顔してるとジュリアさんに嫌われるぞ。なんか食べるものないの?」
ぼくは勝手に冷蔵庫を覗く。
「じゅんは食べたの?」
「食べたよ。煮込みうどん。」
「えーっ、うまそう。」
「作ってやろうか?」
「うどんがない。」
「オレまだあるから持ってくるよ。その前に野菜を煮込んでおく、と。」
「野菜なんかあったっけ?」
「あるじゃん、ほら、ひからびてるのが。」
コーヒーを淹れているカオルにぐったりした形相のニンジンを見せる。
「食べても死なない?」
「これはやめておいたほうがいいかも。あ、これは使えそう、タマネギ。」
ぼくは使えそうなものを全部出してみた。カオルはコーヒーをふたつのカップに交互に注ぐ。
「カオル、たまごはないの?」
「見ての通りです。立花シェフ、コーヒーができました。」
「さんきゅー。」
食材は置いといて、コーヒーを飲む。
「うまいねー。マスターにたのんでいい?」
「無理じゃないことなら。」
「オレの冷蔵庫からゆで麺とたまごを持ってきて。」
「了解。」
ぼくは野菜の切れ端を刻んだ。野菜は一応さっと炒める。あとは全部沸騰したお湯に投入するのみ。ダシは顆粒のでいい。カオルが戻ってきた。
「ねえ、じゅんの冷蔵庫って充実してるねえ。」
「おまえのが寂しすぎるだけなの。」
ゆで麺を入れて煮込む。醤油を入れると、それらしくなってくる。
「いい匂い。腹へった。」
「もうすぐですよ、ぼっちゃま。たまごはナマがいい?半熟?」
「半熟。」
たまごがちょうどよく半熟になったところで器に入れる。
「出来上がりー。」
「わーい。いただきます。熱いもの食べるの久しぶりー。」
カオルがうどんをチュルチュル食べるのを見ながらコーヒーを飲んでいた。
「おまえが食べてるのを見てるのって好きだよ。」
「なんで?」
「なんとなく。」
いつ見ても左手で箸を持つのは不思議に映る。
「あ、『LIGHT UP THE SKY』だ。」
「なに?この曲?」
「まーちんの好きなヴァン・ヘイレンだよ。」

 新宿までは京王線で行くことにした。京王八王子駅の改札を入って思った。
「カオル、こういう場合、花束とかあげるものかなあ。」
「あ、いいねえ。」
「向こうに着いてから買えばいいよね。」
「あ、じゅん、ちょうど特急がくるよ。」
「お、急げ。」
「急がなくても始発だから停車時間があるってば。」
「あ、中央線じゃないんだっけね。」
「ジュリアさんもう弟さんのとこ着いてるかな。」
「仕事が終わってすぐ行けば・・・着いてるかもね。」
だいぶ待たされて、電車はやっと走り出した。
「京王線乗るの久しぶりだなあ。」
ぼくらはしばらく黙って流れる景色を見ていた。高幡不動で、かなり大勢が乗り込んできた。カオルもぼくも、誰に譲るともなく席を立った。
 どれくらい時間が経っただろう。カオルの様子がおかしい。顔色が蒼白い。
「カオル、どうした?」
「なんか、心臓が・・・。」
「苦しいのか?」
ぼくは彼の胸に手をあててみた。ものすごく動悸が激しい。呼吸も速くなっている。
「大丈夫か?」
カオルはその場にしゃがみこんでしまった。
「カオル!」
「じゅん、めまいが、・・・立てない・・・。」
「いいよ、ここに座ろう。オレにつかまれ。次の駅で降りよう。がんばれ。」
カオルの手を握ると、手は冷たいのに汗でびっしょりだ。少し震えてもいる。
「じゅん、オレ死んじゃうかも・・・。」
「いいからしゃべるな。ゆっくり呼吸をして。ゆっくりだぞ。落ち着け。」
落ち着け、というのは自分に対する言葉でもあった。一体どうしたんだ。次の駅がとても遠くに思えた。
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by whitesnake-7 | 2007-12-08 07:07 | 21.~25.

24.

 初めて救急車というものに乗った。ここがどこなのかわからないが、病院に向かって走っている。カオルが過呼吸を起こしているからと、隊員のひとりがカオルの口に袋をあてた。酸素を吸いすぎてしまうらしい。
 病院に着くと、カオルの動悸も少しおさまり始めていた。病院の一室に運ばれ、検査を受けているあいだ、ぼくは廊下でウロウロしていた。椅子があったが、座っていられない。
 時計を見るのさえ忘れていたので(動揺しまくっていた)どのくらい待っていたのかわからないが、ずいぶん経ったと思う。カオルがドアから出てきた。歩いて。
「カオル!大丈夫なのか?」
「うん。」
彼は力なく言った。とりあえず廊下の椅子に座る。
「心臓が悪いのか?」
「オレも心臓発作かと思ったの。すごく苦しかった。でもね、パニック・ディスオーダーっていうやつらしいって。」
「パニック・・・?」
「今心療内科にかかってるって言ったら、そこで話してみてくださいって。」
「心療内科で扱う病気なの?」
「なんか、原因もなく体がパニック状態に陥ってしまうんだって。そういう発作らしい。」
「で、今はどんな感じなの?」
「もう大丈夫・・・でもすごい脱力感。」
「よかったよ、おまえが死ななくて。どうなるかと思ったよ。」
「ごめんね。でもじゅんがいてくれてよかった。あ、そうだ、ジュリアさんが。」
「あ、いけない。連絡しなきゃ。」
病院の電話を探して、十円玉をあるだけ入れた。
「ところでカオル、どうする?」
「・・・オレ帰る。じゅん、今からでも間に合う?」
「間に合うかもしれないけど・・・一緒に帰るよ。」
「いいよ、じゅんは行ってよ。まーちんが・・・。」
「まーちんはまたいつでも見られるよ。今はおまえの方が心配だから。」
「ホントにごめん。」
「いいよ、気にしなくて。」
ジュリアさんのケータイの番号を押す。呼び出し音。
「もしもし、立花です。」
『あ、じゅんくん?場所わかったわよ。』
「そうですか、よかった。それであの・・・ちょっと言いにくいんですけど・・・。」
『どうしたの?』
「こちらから誘っておいて申し訳ないんですけど、ちょっと行けなくなりまして。」
『え?ふたりとも?なにかあったの?事故?』
「そうじゃないんで心配しないでください。本当にすいません。今度ゆっくりお話できると思います。」
『そう・・・残念ね。じゃあ弟と行ってくるわね。』
「ホントすいません。弟さんによろしくおっしゃってください。」
『わかったわ。』
「じゃあ、失礼します。」
受話器を置く。十円玉がジャラン、と落ちる。
「じゅん、ごめん。」
「大丈夫だって。おまえが無事だったからそれだけでいいよ。あ、ヒビキくんは?」
「そうか、ヒビキに電話してみる。」
ヒビキくんも不調だったらしいが、今回はカオルの方が原因らしかった。
最寄の駅までタクシーに乗り、電車で京王八王子駅へ。その間話したことは、月曜に一緒に医者に行こうということだけだった。カオルは、まーちんのところへ行けなかったことにもジュリアさんとの約束を果たせなかったことにも、相当ショックを受けているようだった。見ていて痛々しい程だった。京王八王子駅に降りてぼくは言った。
「カオル、オレまーちんに電話しておくよ。」
「そうだね。」
まーちんは今頃ライブの真っ最中だからケータイに出るはずないのだが、メッセージを入れておいた。今日はおめでとう、理由あって行けなかった、ごめん。今度話すから、と。
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by whitesnake-7 | 2007-12-07 07:07 | 21.~25.

25.

   六月七日(日)

 日曜日か。まーちんはまだ寝ているだろうか。あとで電話しよう。原稿を書いていたが、昨日の出来事が頭の中をめぐっていてうまくいかない。もう八時半。原稿はあきらめよう。冷凍庫からご飯の残りを出してレンジでチンする。生たまごと納豆と海苔で簡単に朝食としよう。
 十時にまーちんに電話した。昨日行けなかった理由を説明した。まーちんはたった今カオルに電話したけれど留守電だったよ、と。心配だからカオルのことたのむね、とぼくに言った。ライブの方は大成功だったらしい。よかった。おめでとうを言って受話器を置いた。
 カオルがこんな時間に留守?ぼくは三階へ行き、カオルのドアをノックする。
「カオル、起きてる?・・・カオル?」
「あいてます。」
いるじゃないか。ぼくは部屋に入る。クラプトンの曲が流れている。『TEARS IN HEAVEN』だ。カオルは布団もかけずにベッドにうつ伏せになっていた。
「おまえ、風邪ひくぞ。」
「うん。」
「調子はどう?」
「・・・うん。」
うん、じゃあわからないじゃないか。ぼくもベッドに腰掛ける。しばらくぼんやりとクラプトンを聴いていた。
「まーちんがおまえに電話したって言ってたよ。」
「誰とも話したくなかったの。」
「こんな曲聴いてるとよけいにしんみりしない?」
カオルはむっくりと起き上がった。
「じゅん、ジュリアさんどう思ってると思う?」
「どうって、・・・特にどうっていうこともないんじゃない?理由さえ説明すれば。」
「失礼なヤツだと思ってない?」
「おまえがあんな死にそうだったのに誰も文句なんか言わないよ。」
「だってもう死にそうに見えないでしょ?」
「・・・今は見えなくたって。まーちんだって心配してたよ。怒ってなかったよ。」
「まーちんは親友だもん。」
「ジュリアさんだって友達だろ?」
カオルはベッドから降りてグラスに水を汲み、飲んだ。ぼくは絵の前へ行く。
「なあカオル、ジュリアさんにこの絵、見せようよ。」
「どうやって?」
「来てもらうか持って行くか。持って行くにはちょっとデカイな。でもあの人に見せたいよ、これ。」
カオルもぼくの横に来た。
「うん、いつかね。」
穏やかな絵だ。
「今日、E-CAFEに行く気はある?」
「じゅん、ひとりで行っていいよ。オレはいい。」
「バイト、行けるの?」
「ちょっとめまいはするけど、まあなんとか。」
「気を付けろよ。ついていこうか?」
「大丈夫。・・・と思う。」
「たよりないなあ。」
「じゅん、あの人のところへ行ったらさ、豆買ってきてくれない?」
「いいよ。おまえ、ちゃんとメシ食えよ。」
「うん。」
ドアを閉めて階段を下りると、ぼくの部屋の前に宅配の人が立っていた。
「立花さんですか?」
「あ、そうです。」
「お荷物でーす。」
「どうも。」
届いた荷物はおやじのパソコンだった。

 スクーターでE-CAFEに来たのは初めてだ。
「いらっしゃいませ。あ、じゅんくん。」
「こんにちは。混んでますね。」
「カウンター席でよろしいかしら。」
「はい。」
ジュリアさんは店の中を小走りにまわっていた。しばらくすると戻ってきた。
「今日はカオルくんはいらっしゃらないの?」
「ええ、あの・・・昨日は本当に失礼しました。」
「気にしないで。私たちならとても楽しかったから。あのバンドの名前、じゅんくんに付けてもらったって言ってたわ。すごく盛り上がっちゃった。見せられないくらい。」
「そうですか、よかった。実は昨日電車の中で・・・。」
チリン、とベルの音。
「いらっしゃいませ。・・・じゅんくん、ごめんなさいね、ちょっと。」
「あ、どうぞ。」
彼女はぼくの前に水のグラスを置くと、今来たお客さんの応対に行った。オノデラ・シェフは黙々となにかを刻んでいるようだ。相変わらず長い髪を後ろにピシッとまとめている。ジュリアさんが皿を持って戻ってきた。シェフの横で伝票を書いている。シェフが覗き込む。
「池山さんたちがランチふたつと・・・モカでしょ、杉本さんたちは三つ。それにブレンド。」
本当によく名前を覚えているのだなあと感心する。
「あの、今日のケーキはなんですか?」
「今日はガトーショコラとオレンジのムースよ。」
「ジュリアさんはどっちを・・・?」
シェフに聞こえないように訊いた。彼女は口の動きで“オレンジ”と。
「じゃあオレンジのムースと・・・マンデリンをください。」
「かしこまりました。」
彼女は伝票を書いて、スープを用意し、運んで行った。シェフがサラダを盛り付けている。ふたりを見ていると感心するし、飽きない。ジュリアさんは戻ってきてすぐにサラダを運び、コーヒーカップを持って戻ってきた。
「香奈ちゃんがブレンド追加。・・・じゅんくん、もう少し待ってね。」
「ぼくはヒマなんでいつでもいいですよ。」
でも彼女はちゃんとお客さんの順番を守っているのがわかる。豆を挽いて、ドリップし始める。
「それであの、昨日なんですけど、カオルがちょっと発作を起こしまして。」
「発作?」
「明日ちゃんと医者で訊いてこようと思うんですけど、パニックなんとかっていう・・・。」
「パニック障害のことかしら。」
「ご存知なんですか?」
「純の、ええ、弟の彼女がそうだったわ。すごく苦しいんですって。」
「それは治るんですか?」
彼女はぼくの前に淹れたてのコーヒーを置いた。
「彼女は薬で良くなったみたいだったけど・・・。」
冷蔵庫から冷えた皿とケーキを出す。
「じゃあ効く薬があるってことですね。」
「そうよね。」
ぼくの前にオレンジ色のまるいムースが置かれた。
「どうぞ。それでカオルくんはどうしてるの?」
次のコーヒーを淹れ始める。
「落ち込んでます。あなたとの約束が果たせなかったのと町矢のデビューを見られなかったのとで、ダブルパンチって感じ。」
「ねえ、私のことだったら本当に気にしないでって言ってね。それよりカオルくんの方が心配だわ。」
「今日は大丈夫みたいです。バイトにも行けそうだし。」
「そう。」
いつも笑顔しか見たことのない彼女の表情が曇っていた。

 日曜日にスーパーに来ると、最低一回は誰かにタックルされる。ぶつかってもあたりまえだと思っているらしく、あやまる気配もない。どうでもいいけど。(日曜に来たオレが悪いんだ、と思うことにしている。)出不精なので、たまに出掛けたときに食糧を買いだめることになる。今日みたいにスクーターで来ているときは特に買い時である。
 アパートに戻ると、二時少し前だった。手をしつこく洗って、買ってきたサンドイッチを食べながら、冷蔵庫にモノを詰め込む。そうだ、留守電を解除していなかった。
『用件は、一件です。』
誰だ?
『じゅん、どうしよう、電車に乗れない。』
カオルだ。電車に乗れない?それだけじゃわからないじゃないか。どうすればいいんだ。もしかして帰ってきているかもしれない。ぼくは買ってきたコーヒー豆を持って三階へ行ってみた。いないらしい。コーヒーはドアのノブに下げておいて二階へ戻る。ふと見ると、グラスに挿した夢の樹に根が出ていた。短くて白い根だ。水を取り替えておこう。そしてまた窓辺へ置く。すると電話が鳴った。あわてて受話器を取る。
「立花です。」
『じゅん?』
「カオル、おまえどこにいるんだよ。」
『八王子駅。』
「大丈夫か?また発作になったの?」
『それが・・・電車に乗ると動悸がして、ドアが閉まる前に降りちゃうの。もう三回もその繰り返しで・・・苦しい。』
「いいから帰ってこい。今日はオレが行ってやるよ。明日医者へ行くまでのガマンだ。」
『いいの?』
声に元気がない。
「今からすぐ行くから。おまえ、タクシーで帰ってこいよ。チャリンコはダメだぞ。」
受話器を置くと、残りのサンドイッチを口に詰め込んで部屋を出た。スクーターで駅へ向かう。
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by whitesnake-7 | 2007-12-06 07:07 | 21.~25.