15.

   五月三十日(土)

 カーテンが風に揺れているのに気付いて、窓を見た。閉め忘れたっけ?窓枠の隅になにか気配を感じた。誰かいる。
「じゅん、だよね?」
聞いたことのあるような少年の声。
「誰?」
その気配は窓から机上へと移った。凝視するぼくの前に小さな影が。
「枝をどけてくれてありがとう、助かったよ。動けなかったんだ。」
掌に乗るほどの小さな少年が、はっきりそう言った。ぼくは言葉を失った。
「ぼくは夢樹。夢の樹に住んでいるんだ。ちょっとドジをやって、あの枝の下敷きになっちゃって・・・。」
「ユメキ?待ってくれよ、なんのことだか、さっぱり・・・。」
「じゅんがあの木の根元へ来てくれたから助かったんだよ。お礼にじゅんの逢いたい人に逢わせてあげる。」
小さな少年はまたいつの間にか窓のところに立っていた。
「危ない、落ちるよ。」
ぼくが手を伸ばそうとすると、少年の姿は消えた。その瞬間、なつかしい声がぼくを呼んだ。
「じゅん、どこにいるの?」
やわらかなその声。かあさん?
「かあさん!」
ぼくはキッチンへ走った。いない。風呂場にも・・・。外へ出てみる。道の西を見ても東を見ても・・・。その時だ。人影が現れた。だんだん近づいてくる。
「かあさん?・・・・かあさん!」
その人影は紛れもなく母の姿だった。もう、すぐそこまで近づいている。ぼくは駆け出す。
「じゅん、待っててくれたの?ありがとう。」
笑顔でぼくを見ている。その両手をぼくの方へ差し出した。ぼくの目からは大粒の涙がとめどなく溢れて、かあさんの笑顔が薄れていく。
「泣かないのよ、じゅんは男の子でしょう?」
かあさんはぼくをしっかりと抱きしめた。
「じゅん、大きくなったわね・・・。」
目が覚めたのはその時だった。あまりにはっきりした場景だった。ベッドの上に起き上がってみる。本当に夢だったのか。抱きしめられた感触さえ残っていた。胸がしめつけられるようにうずいている。両手で頬を触ってみる。涙は出ていなかった。かあさん・・・何度も同じような夢をみても一度もその姿を現すことがなかったのに。本当に夢だったのか、もう一度考えてみる。確かにぼくは今目覚めたばかりで、ベッドの上に座っているのだ。夢だった。夢だったけれど、どうしてもみたかった夢がみられたんだ・・・。
 不思議な達成感のようなものを感じながら、ぼくは冷蔵庫から出した牛乳をマグカップに注いでレンジに入れた。棚からティー・バッグをひとつ出しておく。洗面所へ行って、鏡を見る。さっきまで少年だったぼくは、少しひげの伸びた大人の顔で鏡に映った。
「・・・少年?」
ぼくは思い出して、窓のところへ急いだ。あの少年は。・・・窓は閉め忘れてはいなかったし、もちろん小さな少年もいるはずがなかった。机上に視線を向ける。当然そこにもいない。夢樹。彼はそう名乗った。枝をどけてくれて・・・?枝といえば、昨日らんまるの宝探しに行ったときにツツジの根元にあった棒切れを拾ったけれど・・・彼があの棒の下敷きになっていたというのか。棒を拾ったのは現実だけれど、あの少年は夢だ。夢の中の出来事だ。しかし彼が言ったのではないか、逢いたい人に逢わせてあげると。それが夢の中のかあさんだった。話がうまく出来すぎているようで、どこまでが夢でどこからが現実なのかわけがわからなくなりそうだった。でも今はそれでもよかった。かあさんに逢えたのだから。むしろ夢でないほうが・・・そう思った瞬間、レンジが鳴る音で現実に引き戻された。ぼくは熱くなった牛乳の中にティー・バッグを沈めた。

 雨はやんでいた。カオルを起こす時間まで原稿の続きを書いていたが、昨日も今日もどこかまとまりがつかなかった。ちゃんと清書しなければ。こういう時はワープロかパソコンだとすぐ直るんだけど。いっそのことパソコンを買って、原稿をそのままメールで送ってしまうことにしようかとも考えてみる。学生時代にキーボード操作は経験しているし、ブラインドタッチは出来ないにしてもそれ程使えなくはないように思う。(のは自分だけか。)
 八時にカオルの部屋に電話をする。ベルを五回鳴らして切る。しばらくすると、こちらの電話が一回鳴った。カオルの『起きたよ』の合図である。あとは八時半にカオルが下りて来るまでに何か軽く食べておけばOK。CDデッキにベン・フォールズ・ファイブをセットして、バラバラな原稿をとりあえずひとまとめにし、棚の中から食糧を出そうとしていると、ノックの音が。
「じゅーん。」
何も言わないうちにドアを開けてカオルが入ってきた。もの言いたげな様子。
「おはよう、ぼっちゃま。起きたばかりの顔だね。」
「ゆうべ読み終わったの、これ。」
表紙が気に入って買った、あの本を持っている。
「どうだった?」
「あの宝物、夢の中の話だったんじゃん。」
「うん。」
「じゃあ、ホントに掘ってもダメじゃん。」
「そうだね。」
「なんで掘ったの?」
「なんでって、おまえが掘ってこいって言うから。」
「夢の宝物を?」
「じゃああれは夢だよって教えちゃってよかったの?」
「あ・・・そうか。」
「読んでる人に結末を教えないように気を使ってるんだよ、これでも。」
「はあー、夢かー。」
「それを言いに朝早く下りて来たの?ごくろうさん。」
「でもおもしろい本だった。さんきゅー。」
「どういたしまして。ミルクティー飲む?」
「帰るわ、ひげ剃らなくっちゃ。」
カオルは髪をクシャクシャしながら出て行った。『JACKSON CANNERY』を聴きながら、テーブルの上に彼が置いていった本に視線を向ける。あれ、こういう色だったっけ・・・?近づいてよく見る。色褪せたというのならわかるが、むしろ前より鮮やかな色をしているように思える。いや、思い違いかもしれない。すっきりしない気持ちで、カロリーメイトの箱を開ける。ひとかけらを口に入れて、冷蔵庫を覗く。ミネラル・ウォーターのボトルを出してグラスに注ぐ。それを片手に、もう一度本の表紙を眺める。確かに前と違う。そんな不思議なことがあるか。いや、考えてみればことの始まりはこの本だ。この本を買ったのも、宝探しに行ったのも、あの少年の導いたことなのか?思い出したぞ、昨日の夢を。昨日もあいつはぼくの夢に出た。本を買ってくれてありがとう、とか言ったっけ。じゃあやっぱりこの一連の出来事はあいつの・・・。いや、そんな変なことが実際あるわけない、これはぼくの潜在意識の中の何かが作り上げた妄想なのだろう。
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by whitesnake-7 | 2007-12-16 07:07 | 11.~15.
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