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13.

   五月二十九日(金)

 本を買ってくれてありがとう。きみにお願いがあるんだ。この枝をちょっとどけてくれないかな、動けないんだ・・・。
「誰?」
ぼくは自分の発した声で目が覚めた。なんだ、夢か。少年のような声が耳に残っていた。
 牛乳をマグカップに注いでレンジに入れ、かなり熱めのホットミルクにする。そこへ紅茶のティーバッグを入れる。強引な作り方だけど、ロイヤルミルクティーが出来る。それを作っておいて、顔を洗ったり着替えたりする。一通り終える頃には飲み頃の温度になっている。窓を開ける。薄暗い空は一面白い雲に隠されていた。天気予報は曇り。雨は降りそうもない。ディープ・パープルの『SOLDIER OF FORTUNE』を聴きながらさっきのミルクティーを飲む。今日はカオルの調子はどうだろう。とりあえず机に向かう。原稿のアイデアはなにも浮かんでこない。依頼ページ数は増えているというのに。

 カオルは十一時半頃起きてきた。めまいはしていないと言うので予定通り出掛けることにしたが、寝坊したのでここ掘れワンワンはあとまわしにして先にE-CAFEへ行くことにした。
 バスはゆっくりと坂をのぼって行く。
「そういえば、ヒビキくんには連絡とれたの?」
「そうそう、十一時過ぎに電話してきたよ。やっぱ調子よくないみたい。」
「めまい?」
「うん。難しいんだよ、ヒビキのせいでオレが変なのか、オレのせいでヒビキも変なのかわからないじゃん。」
「そうか。あんまり続くようなら医者に行ってみたほうがいいな。」
「行きたくないなあ。」
坂の上でバスを降りる。ちょっと伸びをする。カオルも真似をする。
「じゅん、原稿書けたの?」
歩き出す。
「それがさあ・・・。ノー・アイデアってやつ。頭も原稿用紙も真っ白。」
「天気も冴えないけど、じゅんもかー。」
E-CAFEの赤い日よけが風に揺れていた。
「何日ぶりだろう。」
カオルの顔がほころんでくる。
「らんまると来たんだったよなあ、月曜日以来か。」
真鍮の取っ手を引く。ベルがチリンといい音色。
「いらっしゃいませ。」
ジュリアさんのいつもの笑顔だ。忙しそう。ざわめきの中を小走りにこっちへ来た。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
店はかなり混んでいる。ランチタイム真っ只中である。
「あそこのお席、今片付けますので少しお待ちいただけます?」
今出て行ったOLらしいふたりがいた席。そこだけしかあいていなかった。ジュリアさんは食器類を手早く集めてテーブルを拭いた。カオルもぼーっと彼女を見ていた。
「お待たせしました、どうぞ。」
壁際の四人掛けのその席にカオルとぼくは向かい合って座った。カオルはメニューを開く。
「腹へったー。じゅん、朝は食べたの?」
「トースト一枚。あと、りんごの丸かじりね。」
「りんご、いいねー。オレも今度買おうっと。」
「なんか聴いたことある曲だなあ・・・。」
「これ?ああ。」
「ビートルズか。こういう静かな感じにアレンジされるとまた違うねえ。」
「ビートルズの曲はいろんな人がやってるもんね。」
「オレもビートルズにくわしいほうじゃないけどさ、TOTOのスティーブ・ルカサーなんかがやってる『ノルウェイの森』のアルバムは結構いいよ。あ、来た。」
ジュリアさんが来た。どうしてこの人はいつも笑顔でいられるのだろう。
「お待たせしました。」
グラスの水を静かにテーブルに置いた。ぼくはカオルがしゃべるまで待った。
「あっ、あの、ランチをふたつ。それとコーヒー。ぼくはコロンビア。」
「じゃあぼくはマンデリンをお願いします。」
「ありがとうございます。ランチはお魚だけど大丈夫?」
「だ、大丈夫です、なんでも。」
カオルはジュリアさんの顔を見ずに言った。ジュリアさんはそんなカオルを見てにこにこしている。
「よかった。ランチふたつにコロンビアとマンデリン、かしこまりました。」
彼女が去るのを確認して、カオルは水を飲んだ。
「魚かー。しばらく食べてないなあ、まーちんの明太子は食べたけど。」
「オレはこの前スーパーでシャケを買ったよ。バター焼きにした。」
「うまそう。じゅんって最近料理するようになった?」
「頻繁じゃないけどね。コンビニ弁当に飽きてきたのかなあ。」
「オノデラ・シェフに対抗して立花シェフになってよ、食べに行くから。」
「それは絶対無理だな、作る人が味のわかる人じゃなくちゃ客がこないよ。」
「でもじゅんの味噌汁はおいしいよ。むかしコロッケ作ってくれたこともあったよね。あれはアツアツでうまかったっけ。」
「二年くらい前のことをよく覚えてるね。あの時は確かテレビの影響でむしょうにコロッケが作ってみたくなったんだよな。でもまぐれでうまくいったの。」
カオルの視線が横へ行った。ジュリアさんが近づいてきたのだった。
「お待たせしてごめんなさいね、先にスープをお持ちしました。」
ジュリアさんはカオルとぼくの前にスープカップとスプーンを置いた。持っているトレーの上にはスープがまだ三つのっていた。彼女は軽く会釈をすると、足早に次のテーブルへ移って行った。カオルはその後姿をじっと見ていたが、やがてスープに目を移した。
「じゅん、これなに?」
「おまえさあ、ものがわかりはじめた子供みたいな質問のしかただね。」
「これなに?なに?」
ふざけはじめた。おかしなヤツ。
「スープですよ、ぼっちゃま。」
「そんなことはわかってます。そうじゃなくて。」
カップの中にはきれいな緑色のスープが入っている。
「爺が想像しますところでは、牛乳とホウレンソウで作ったポタージュではないかと。」
「ホウレンソウの色か。きれいだね。いっただっきまーす。」
よくわからないが、クセのないおいしい冷製スープだった。
「おいしいね。」
カオルはうれしそうな顔をした。純粋だなあ、と思う。
「うん、おいしい。自分では絶対作れないもの食べると得した気がするね。」
「戸惑いもあるけどね。」
「戸惑いもある。でもアヤシイものを出すわけないから一応安心だけど。」
「アヤシイものでダシをとってるかもしれないぞ。」
「カオルの思うアヤシイものってなに?」
「例えば・・・、トカゲのしっぽとか・・・怪獣のツノとか。」
「怪獣?ウルトラマンの見すぎじゃない?」
「フフ、今はもう見てないよ、テレビがないもん。」
スープに熱中していたら、ジュリアさんが来た。
「お待たせしました。」
テーブルに料理を並べる。その手つきをながめながらカオルが言った。
「このスープ、おいしいですね。」
「ありがとう。よかったわ。ホウレンソウを裏ごしするの手伝ったかいがあったわ。」
「そうなんですか。色がきれいですね。」
「私もこのスープ、好きなの。」
料理を並べ終えて、彼女はにっこりと笑った。
「すぐにコーヒーお淹れしますね。」
彼女が去るのをまた見つめているカオル。その顔を見ているぼく。
「な、なに?」
ぼくの視線に気が付いてはずかしそうな顔をした。
「ほほえましいなーと思って。」
「そ、そう?・・・あ、白身魚おいしそう。」
視線を落とした。白身魚は確かにおいしそうだ。料理のことはよくわからないが、揚げてあるようだ。その上にきのこがいっぱいのっている。あんかけというのかな。
「じゅん、これあったかいよ、サラダ。」
「そう。温野菜か。スープが冷たいのだから温かいサラダなのかもね。」
「オノデラ・ランチ毎日食べたいなー。」
「ホウレンソウ、ジュリアさんが裏ごししたって言ってたね。おかわりをたのんでみたら?」
「いい、はずかしいから。明日も来るんだもん。」
「ああ、そうだね、明日は山草見物だね。」
カリッと香ばしい魚にナイフを入れながら、明日のことを考えた。カオルも黙って温野菜を口に運んでいる。帰る客にありがとうございましたと言うジュリアさんの声がする。静かな音楽の流れる中、時折り笑い声やざわめきが聞こえる。なにか胸の奥に懐かしい思いがこみあげてくるのを感じた。これはなんだろう。
「じゅん、浮かんだ?」
「えっ?」
「原稿だよ、原稿のネタ。」
「ああ、原稿。忘れてた。」
「なんかいい表情してたから、構想ができたのかと思った。」
いい表情、と言われて少しはずかしくなった。どんな顔をしていたんだろう、ぼくは。
「今さあ、ちょっと胸がキュンとなってたの。」
「へえー、じゅんもそんなことあるの?」
「オレが鋼鉄のような強靭なハートの持ち主だと思ってる?」
「ううん、けっこう繊細だったりすると思ってる。」
お互いの性格についてしばらく話していたらジュリアさんが来た。
「お待たせしました。カオルくんがコロンビアで、はい、じゅんくんがマンデリン。」
「どうも。」
「あいたお皿、お下げしますね。あら、お魚きれいに食べてくれたのね、うれしい。」
彼女は本当にうれしそうにそう言った。
「カリッとしておいしかったです。」
カオルが言った。
「小野寺くんよろこぶわ。あれで結構気にしてるのよ。」
「そうなんですか。いつもおいしいですって言ってください。」
「ええ、ありがとう。」
ぼくはふたりのやりとりを見ていた。が、ひとこと言うことにした。
「明日、山草展に行こうと思ってるんです。」
「本当?ありがとう。オーナーに言っておかなくちゃ、かわいい男の子が来るって。」
ジュリアさんはカオルとぼくを交互に見つめて微笑んだ。
「私も明日行こうと思うの。」
ほら、カオルに聞かせたかった言葉だ。カオルもうれしそうな顔になって言った。
「帰りにまたここに来ます。」
「ありがとう、お待ちしてます。じゃあごゆっくり。」
会釈をして、彼女は次のテーブルへと移って行った。
「カオル、よかったじゃん。明日行くってさ。」
「うん。」
カオルもぼくも残りのサラダを食べる。
「ねえ、じゅん。いいことって先に延ばしておきたくならない?」
「うーん、そういうこともあるけど、早く来て欲しくもあるね。早く来てしまったら次のいいことをさがせばいいんだよ。そうだろ?」
「そうだね。じゅんって前向きだね。」
「そういうふうに考えることにしたの。前はくよくよするほうだったけど。」
「どうして変わったの?」
カオルは両手で包み込むようにカップを持った。ぼくもコーヒーに手を伸ばす。
「編集部に手紙が来るんだけどさ、いい手紙とかお褒めの手紙ばかりじゃないじゃん。むしろその他のほうが圧倒的に多かったりする日もある。ラジオの方もそう。それを毎週読んでるとさ、しまいにはもう好きにしてくれっていうか、どう思ってくれてもいいよって感じにならないとやってられない。」
「とか言いながら結構傷ついてんでしょ?」
「結構ね。」
「そっかー。じゅんも辛い目にあってるんだね。オレ、有名じゃなくてよかった。」
「オレだって有名な方じゃないけどさ、芸能人なんかはきっと大変だと思うよ。相手の数が違うもんね。」
「そうだよね、好きになってくれる人も多いけど、逆もね。」
「荒波っていうか、そういうのにもまれても耐えられる強い精神があったら有名になってみたいけど。」
「オレも強くなりたいなあ。」
「強いだけがいいとは限らないけどね。・・・とオレは思うけど。」
「そうかな。」
「おまえが強くないとは言わないけどさ、その繊細な部分がああいう絵を描かせるんじゃないのかな。」
「ああいう絵ねえ。あの絵、もうすぐ完成させるよ。」
「そう。たのしみだなあ。次にも興味があるし。」
カオルはカップを置いて、左腕の時計に目をやった。(右手で字を書くので時計は左にしている。)
「あ、急がなきゃ。」
「もう時間か。・・・そうだ、それにしようかな。」
「なに?」
「原稿の内容。」
「やっぱり浮かんだんだ。」
「そういえばそうだね。」
「オレは行くけどじゅんはゆっくりしてってもいいよ。」
そう言ってカオルはコーヒーを飲み干した。
「いや、オレも帰るよ。書けそうになったときに書かなくちゃ。」
「じゅん、超急いで帰る?」
「超がつくほど急がないけど、どうして?」
「ワンワンしてきてもらってもいい?なんかさあ、明日じゃ間に合わない気がするんだよね。」
「べつにいいよ。掘ればいいんなら掘ってくる。でもあんまり期待しないでよ。」
ぼくもコーヒーを飲み干した。
by whitesnake-7 | 2007-12-18 07:07 | 11.~15.
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