5.

(三日後)五月二十四日(日)

 朝午前五時半ちょっと前にまーちんが大きな黒い車でやってきて、らんまるを預けて行った。ヒジカタさんが起きてきて、大きなワンちゃんねえ、と頭をなでてくれた。めずらしく早く起きたカオルと一緒にらんまるを3階へ連れて行く。カオルは、部屋の前でらんまるに言った。
「今日と明日はここにいてね。わかった?」
らんまるはきょとん、としていたが、おすわり、と言われて素直に座った。リードはドアのノブにつないだ。これだけ大きな犬だととても存在感があるものだ。ぼくとカオルはまーちんから渡された袋の中から毛布を取り出してそこへ広げた。らんまるは不思議そうにそれを見ていた。
「じゅん、このシート、ここに置いておくだけでちゃんとトイレってわかると思う?」
「だと思うけど・・・。まーちんは結構ちゃんとしつけてるから大丈夫じゃない?」
「らんまる、いいか、したくなったらここでしてくれよ。はみだしちゃダメだぞ。」
犬の高さになって説教しているカオルを見ていたらおかしくなって笑ってしまった。カオルがらんまるの水を汲んでいるうちに、エサの袋を覗いてみた。その中にまた容器がふたつ入っていた。ひとつはエサの皿、もうひとつはプラスチックのコップだった。なにか書いてある。八分目あたりに線が引いてあって、『この線まで、朝晩7時ごろ。ヨロシク』。なるほど。
「じゅーん、これで足りる?」
カオルが容器に水を汲んできた。
「らんまる、長旅で喉が渇いただろ?飲んでいいよ。」
らんまるは、せっかくだからいただきます、という感じでチャプチャプと少し飲んだ。
「カオル、これ見てよ。」
ぼくはさっきのコップを見せた。
「まーちんらしいね。でもこの線まででいいの?少ないね。これは作家のおにいちゃんに預かってもらおうね。まだ時間があるから。じゃあ、オレ寝る。」
「おやすみ。」
かわるがわるらんまるをなでて、カオルは部屋へ入り、ぼくは階段を下り始めた。ここまではスムーズに事が運んだのに、その後だった。ぼくが階段の踊り場を折り返したあたりで、らんまるがクーンクーンと鼻を鳴らした。まずい、とぼくは階段を戻った。カオルも部屋から出てきた。らんまるはうれしそうにしっぽを振る。
「らんまる、静かにしててくれよ、鳴くのは禁止!」
カオルの説教をうれしそうに聞いている。
「無理だよなー、知らないトコに連れてこられて、不安なんだろうなあ、まーちんもいないし。」
「じゅん、らんまるが慣れるまで、って言うかオレが起きるまで、らんまるを部屋に置いておけない?」
らんまるはぼくの部屋に来ることになった。
「狭いけど、がまんしてくれる?」
らんまるは聞き分けのいい子供のようにしずかに自分の毛布にのって、ぼくの机のにおいをかいでいる。部屋にいるならリードははずしておこう。水とトイレシートをそばに置いて、ぼくはもう一度らんまるのあたまをなでて、机に向かった。ぼくが逃げない事を確認したらしく、彼は毛布の上にゆっくりと寝そべった。黒い毛がつやつやと光っている。生きている動物がそばにじっと寄り添っているだけで、なぜかいつもと違う。ぼくが見下ろすとらんまるのその黒い瞳がぼくをチラッと見上げる。しっぽがパタン、と動く。らんまるは決してぼくの仕事の邪魔をしなかったが、ぼくは結局原稿を書く手が進まなかった。原稿をあきらめたぼくは、あの本の続きを読み始めた。ときどきらんまると顔を見合わせては頭をなでて、本を読み終えた。いい具合に、らんまるの朝食の時間になった。
らんまるのごはんが済んで、お湯を沸かし、ぼくがアップルティーをひとつ開封しようとしたとき、トントトン、とノックの音がした。カオルだ。
「じゅん、開けていい?」
「いいよ。」
そう言って、らんまるの首輪を軽くつかまえた。逃げたりしないだろうけど。
「もう起きたの?アップルティー飲む?」
「うん。」
まだ半分寝ぼけ顔のカオルにアップルティーの香りがたちこめるマグカップを渡して、ぼくも一口飲んだ。
「バイト何時から?」
「今日は二時。ねえ、朝メシ食った?」
「まだ。クラッカーがあるけど、食べる?」
「そんなオシャレな朝食なの?」
「他になにもないだけだよ。ジャムをつけて食べるの。」
クラッカーの在処を探す。
「あのさー、じゅん、軽く食べてさ、らんまる連れてE-CAFEまで散歩しない?」
「それ、いいねー。」
「決定!あそこでお昼食べてからバイトに行く。・・・あ、ごめん、帰りはらんまるたのんでいい?」
「いいよ。はい、マーマレードかブルーベリー・ジャム、好きな方どうぞ、ぼっちゃま。」

 らんまるを連れて歩くのは、そう大変な事ではなかった。彼はちゃんと主人の左側に付いて歩くようにしつけられていたし、リードの持ち主をひっぱるような事もなかった。
「のどかな日曜だねえ。こんな日にバイトに行く人の気が知れないよ。」
「オレ、休みたくなってきた。ねえ、じゅん、富士森公園の中を通っていこうよ。」
この前までここに桜がいっぱいだったなんて信じられないくらい、新緑ももう深緑になりかけている。いつもならバスの中から眺めるか、またはスクーターでさっと通り過ぎてしまう道を、三人(ふたりと一匹)でゆっくりと、時々立ち止まりつつ進むのもなかなかいいものだった。富士森公園ではフリーマーケットが開かれていた。水道のところでらんまるに水を飲ませてから坂をのぼって公園を出ると、もう少しでE-CAFEに着く。
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by whitesnake-7 | 2007-12-26 07:07 | 1.~5.
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